最近、中学校運動会での組体操において、事故が多発し批判を浴びています。その批判の的になったのは、ある中学校で、10段のピラミットを組み立てている途中で崩落し、生徒が骨折するという動画が配信されたことからです。

その後、次々と事故例が明らかになり、国や自治体は、これまでの発生状況を調査するとともに、指針や対策の作成に慌しくなっています。

一方で、関係者やマスコミは、このような危険性の高い集団演技を競い合う必要性があるのかを議論していますが、私は、それよりも、先生たちが、この演技に潜む危険性を、まったくと言っていい程予見できていないことに強い違和感を覚えます。

なんと、事故が起こった後でも、指導の先生が、子どもたちに達成感を味わせたかったといってはばからず、批判は不本意だといわんばかりに話していました。

まさに、危険を予見する能力が極めて低いといわざるを得ません。

私は、スポーツ指導における安全配慮義務については、危険予見義務、危険回避義務、被害拡大の防止義務が重要と主張しています。

このうち、スポーツ指導者が、最も重視して身に付けなければならないのが、危険を予見する能力なのです。

私は、これを「予見能」と名付けました

一方、指導者だけではありません。スポーツ界は、いまだに続く、スポーツ現場での暴力、体罰、しごきなどの反インテグリティ行為、スポーツ団体の不正受給、野球選手の賭博など、コンプライアンス、ガバナンス問題は枚挙にいとまがありません。これも、スポーツ界全体に「予見能」が低い証しといえます。

そのため、スポーツ界の不正や高潔性を外部から指摘されてからも、うっかりミスを犯したような弁解をしているところに「予見能」の低さがよく表れています。

私は、これから「予見能」の重要性について創造的な提言をしていきたいと思います。