6月4日の朝日新聞一面に目が止まりました。
「文部科学省は、中学と高校の部活動について、休養日を設けるよう学校に求める案を大筋でまとめた。顧問の教員の負担を軽くし、生徒の健康を保つため、過剰な活動を適正化するのが狙い。文科省は来年度にもガイドラインをつくり、休養日がどれくらい必要かなどの基準を初めて示す方針だ。」

 文部科学省は、何を今さら、新しい方針を出すと言いだしたのだろうか。

◎ 部活休養日案の前例
 さかのぼること1997年12月に、当時の文部省は、「運動部活動の在り方に関する調査研究報告書」の中で、各学校の運動部活動において設定する休養日等の参考例を、次のように示しました。
 ・ 中学校の運動部では、学期中は週当たり2日以上の休養日を設定。
 ・ 高等学校の運動部では、学期中は週当たり1日以上の休養日を設定。

 しかし、学校現場では、ほとんど無視されてまったく奏功しませんでした。

 その後も、何度か休養日の提案はされてきましたが、結果は同様です。

 また、2002年、学校週5日制が完全実施されたときに、旧文部省が、休日となった土曜日は、児童・生徒を家庭に返すのが主目的なので、運動部活動は自粛するようにと方針を出したところ、現場から大反発を受けて異論が噴出しました。そのため、やむなく修正したことを忘れたのでしょうか。

 ではこれまで、旧文部省と文部科学省は、運動部活動に対して、どのような対策を取ってきたのでしょう。

 外部指導員制度は、中途半端のまま地方自治体に任せ、教員の顧問負担の軽減も、長年指摘されてきたにもかかわらず、微々たる金額(注1)を付ける程度で、解決には程遠い対策でした。これまでの無策が、今の問題を引きずってきた、といっても過言ではありません。

(注1)都道府県に、土・日勤務に限る教員特殊業務手当(平成25年度現在、4時間は日額2,400円、8時間は日額3,400円)を、「義務教育費国庫負担金」として支出している。(県費を加算している自治体もある。)

◎ 冷ややかな学校現場
 学校週5日制とは関係ありませんが、1987年に、このような事故が発生し、裁判になりました。

 ある中学校のサッカー部で、一部の生徒が、冬期休業中に市営グラウンドへ集まり、自主練習をしていた時、2年生の一人が急性心不全で死亡しました。

 この活動は、正規の部活動ではなかったとして、災害共済給付見舞金を支払わなかった「日本体育学校健康センター(現在のJSC)」に対して、遺族は、損害賠償請求の裁判を起こしました。

 高裁での判決は請求棄却になりましたが、その理由は、「当該練習が学校の部活動計画表に記載されていない。また、顧問教員も不在であった。」「自主的練習であっても、学校が認識し正規の練習計画と連動していることが必要である。」として、学校管理下での活動とは認められず、災害共済給付の対象外であるというものです。

 なぜ、この事故判例を紹介したかと言いますと、もし、現場に一律の部活休養日を義務づけると、例えば、生徒が休養日に練習をしたいと願い出てきたとき、顧問教員は「学校外で、勝手に自主練習をやっておけ。休養日の練習は俺に聞くな、知らないことにしておく。」というやり取りが飛び交う場面が増えるでしょう。

 その自主練習中に事故が発生した場合、顧問教員は不在で、学校が認知していなかったとなれば、学校管理下の活動と認められず、災害共済給付の対象外どころか、ケースによっては学校の管理責任が問われかねません。予見能のレベルが低いですね。

 また、新たな休養日案の理由について、生徒の過剰問題と顧問先生の多忙問題を挙げていますが、まったく別の対策を必要とする課題を、一緒くたにしていること自体が間違っています。

 では、どうすればいいのでしょうか。休養日がなく、過激な練習に明け暮れる運動部活動は、競技レベルのトップを目指す一部の部活です。そのような学校ほど、休養日など無視してくるのは必定でしょう。

 一方で、大多数の生徒は、スポーツを楽しみながら勝利を目指す自主的な活動を希望しています。そのような部活では、休養日や練習時間を主体的な判断で調整しています。

 一律に休養日を作るという、これまで機能しなかった稚拙な政策を再検討するなんて、両タイプの部活から無視されて、とても奏功するとは思えません。

◎ スポーツ庁の存在
 最後に、なぜ、文部科学省がガイドラインを作るのでしょう。スポーツ庁に、学校体育と運動部活動の政策部署を移したはずなのに、移管したのは形だけですか。
 それとも、スポーツ庁を文部科学省の外局にするための対策だったのでしょうか。

 今後、青少年のスポーツ環境を改善する政策については、学校管理下の運動部活動だけでなく、地域スポーツクラブや民間スポーツクラブなど、青少年の希望を満たすことができる、多様な選択肢を創造すべきという政策を提言していますが、今回は省略します。