リオ五輪の第1号金メダルを獲得した水泳の萩野選手が、表彰式の壇上で、ぎこちなく国歌を斉唱(?)しているのを見て、皆さんはどのように感じましたか?

 組織委員会の森会長が、壮行会の時に「国歌を歌えないような選手は日本の代表ではない」と苦言を呈したことは、選手からすれば恫喝に聞こえたことでしょう。

 壮行会後に、おそらくJOCや競技団体の幹部が慌てて、表彰台では必ず国家を歌いなさいと命じたと思います。

 世界の金メダリストが、すべて国家を歌っていますか?
 他国のメダリストのように、国旗を見上げて、誇らしく国歌を聞いてどこが悪いのか。
 自然な気持ちで歌声が出ていれば素晴らしい表情でわかります。

 声を出して歌わなければ、国歌をないがしろにしているという、教育現場の取り締まりと同じような強制に違和感を覚えるのは私だけでしょうか。

 そういえば、長野冬季五輪の表彰式で金メダルを授与される際に、里谷選手が脱帽しなかったことに対して、国民から抗議が殺到したことを思い出します。
 この時は納得したものですが、なぜ役員が事前に注意しなかったのかという意見のほうが強かったと思います。
 
 また、五輪開会式で、日本選手団の入場をテレビで見ていたときにも、違和感を覚えました。
 なぜ、国旗の後ろに年配の役員がぞろぞろ先導して、うしろから選手がついてくるのか。
 他国では、選手が主役で先頭を歩き、役員は後ろについて入場しているところがほとんどではないか。

 国民体育大会の入場式を思い出しました。すべての都道府県選手団が、役員を先導に身長の高い順に一糸乱れず入場する古式豊かなしきたりは、今でも継続されています。

 1964年東京五輪の閉会式において、各国の選手が入り乱れて入場しました。
 一部に批判はありましたが、概ね好評でした。その後の五輪閉会式では、その入場方法が定番になったことは、あまり知られていません。

 さらに、すべての代表選手が、インタビューを受けた際に「金メダルを目指す」と異口同音に話す言葉にも無理があり、違和感を覚えます。
 これも、全選手が自主的に話すことを制限され、インタビューの受け答えを強要されているためです。
 以前に、「楽しんで競技しました。」と言って怒られた選手もいましたが、税金を出している国民に申し訳ないと思う役員の思い込みがあるからです。

 国民は、押し付けられた言葉を聞きたいわけではない。勝ち負けに真剣にかかわる人間だけが発露する言葉を聞きたいのです。

 森会長だけではない。スポーツ界において指導的役割を自認している年配の役員は、このような愚にもつかない形式の踏襲を高圧的に押し付けるようなアナクロニズムは、いい加減に改めてほしい。