私は、五輪の価値を災害復興に寄せることは重要であり、まったく異存はありません。

 しかし、「復興五輪」という言葉については、多少違和感があります。

 いわゆる「復興五輪」については、次のような経緯があったことを踏まえて、議論をしてほしいと思っています。

① 東日本大震災発生(2011年3月11日)
 すでに、東京都は招致の立候補を決めていましたが、東日本大震災が発生したため、都庁内で、五輪立候補は、都民・国民の理解が得られないのではないかとの異論もあり議論を重ねます。

② 東京都の招致表明(同年7月16日)
都は、IOCへの申請都市届出期限(9月1日)が迫っていることから、震災は、9年後にほぼ終了しているとの前提で、「五輪の成功は、国民に希望を与え、世界に対する復興の証しになる」と招致理由を変更し、石原元知事が立候補を表明します。

③ 衆議院、参議院の招致決議を経て閣議決定(同年12月13日)
 五輪開催は、「(略)東日本大震災からの復興の途中にある我が国にとって、両大会の招致と開催の成功は、国民に希望を与えるとともに、世界に対する復興の証しとなる」として、内閣で閣議決定されます。

④ IOCに「申請ファイル」を提出(2012年2月13日)
 申請都市(Applicant City)として提出した「申請ファイル」では、開催動機の一つとして「(略)支援を寄せてくれた全世界の人々への感謝を示す機会となる。大会の開催は(略)困難に直面した人々を励まし勇気づける」と表記します。

⑤ IOCに「立候補ファイル」を提出(2015年1月7日)
 立候補都市(Candidate City)として提出した「立候補ファイル」では、猪瀬元知事と竹田JOC会長が挨拶文において、世界からの復興支援に感謝する言葉はありますが、ファイル内においては、復興のために五輪を開催したい旨のアピールは、ほとんどありません。

⑥ IOC総会(2013年9月7日)
 高円宮久子様が、「(東日本大震災)の時、IOCの皆様に示していただいた深い同情に対し、感謝を一生忘れません。」と謝意を表しました。また、佐藤真海パラピリアンが、震災経験を述べてスポーツの力に感謝しました。
 なお、他のプレゼンテーターのスピーチにも、「おもてなし」は話題になりましたが、復興五輪には触れていません。
 それどころか、安倍総理は、「福島について、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません。」と英語でスピーチしています。
 この中の「アンダー・コントロール」発言は、国会でも取り上げられましたが、私は、「東京には、福島のいかなる悪影響も及びません」という発言のほうに、当時違和感を覚えました。

 これらの経緯を踏まえて言えることは、震災直後においては、都民・国民に立候補を理解してもらうとともに、復興に五輪が貢献するというメッセージは、評価されてしかるべきです。

 しかし、国際的な招致活動に出るときには、国内事情である復興よりも、グローバルなメッセージを主張しなければ、招致は成功をしないと議論されたのです。
 そのため、「復興五輪」をトーンダウンして、「2020年東京大会を通じて、世界のスポーツ界が『未来をつかむ(Discover Tomorrow)』ことができる」のビジョンのもと、5つの目的で臨むと表明しますが、そのなかで復興についてはまったく触れていません。

 今思えば、国内事情といえども、招致ビジョンのセカンドメッセージとして、「復興五輪」を世界に主張しておけばよかったのです。
 
 先日の会見で、小池都知事は、復興五輪を訴えて招致したにもかかわらず、「皆さんは忘れていませんか?」という趣旨の発言をしましたが、都民・国民に向けたメッセージとしてはその通りです。

 しかし、先日、バッハIOC会長に向けて、小池知事が「復興五輪」の主旨を強調した時には、バッハ会長は、いささか戸惑っていました。なぜなら、東京は「復興五輪」をアピールして世界から支持されたとは思っていなかったからです。

 (この続きは、第2回をご覧ください。)