今年の選抜野球大会も、ピッチャーの投げ過ぎについて議論がありました。

 福岡大大濠高校の三浦投手が、再試合を含む3試合で475球を投げたあとの順々決勝で、監督が先発させるのか注目されていたところ、本人の希望を制止して先発させず、結果的に投げさせませんでした。

 このことについて、マスコミ報道は、勇気ある決断と評価したところから、本人が投げたかったという悔しさを前面に押し出した報道に多少の温度差がありましたが、おおむね好評でした。

 これまで、栄光の甲子園大会を経て、プロ野球で活躍が期待されていたのに、高校時代の投げ過ぎによって肩や肘を故障し、挫折して野球をやめていった若者をどれほど見てきたか、枚挙に暇がありません。

 さらに、メジャーリーグに期待されて渡米した日本のピッチャーが、故障に苦しめられた人は、一人や二人ではありません。

 奇しくも、今年3月はWBCで日本が勝ち進み報道を沸かせました。そのプロ野球の頂点では、投手の負担軽減のために、100球以下の厳しい投球制限が科せられていたことは周知のところです。

 その反面、同じ硬式野球でありながら、成長途上の高校生が1試合で195球を完投し、翌々日に130球を投げさせている違いには、極めて強い違和感を覚えざるを得ないでしょう。

 過去にも、昭和44年夏の決勝戦で、延長18回引分けのうえ、翌日の再試合も投げ続けた三沢高校の太田選手を悲劇のヒーローとしてたたえたことが、今でも美談として語り継がれています。

 これほど明白な課題を、長年引きずっているにもかかわらず、高等学校野球連盟(高野連)は、大会中に休養日を設けるぐらいで、問題解決にはまったく程遠い対策です。

 高校生の将来を考えるならば、本気になって、球数制限、対ブレイク導入など、根本的な対策を取るべきなのに、長年にわたって検討中といいながら、ルール改正をしないまま今日に至っています。

 野球部の監督・顧問が、複数のピッチャーを育てなければ甲子園に行けない、勝てないと、戦略を変えざるを得ないような対策を、高体連が作って誘導すべきです。
 
 甲子園大会がすでに本来の教育的意義・目的から外れ、国民が期待する若者の青春ドラマの舞台に変わっていることを、もっと問題視して、高野連は抜本的な対策に取り組むことを望みます。

 ここにも、学校の運動部活動の在り方に関わる根本的な問題があります。