日本の受動喫煙を規制する法案をめぐるゴタゴタをみて、WHOの幹部が、「日本の対策は時代遅れだ」と苦言を呈しています。
にもかかわらず、組織委員会と東京都(小池知事)が、この受動喫煙問題についてはマスコミに向けてほとんど言及していません。
これまで、競技施設問題やゴルフ場の男女差別については、IOCの指摘に敏感に反応して積極的に発言してきたのに、この件は見守っているだけのようにみえます。
「情けない」の一言です。
受動喫煙防止はオリンピック開催のためというより、長年にわたり訴えられてきた世界的な健康問題のはずです。
日本ではその遅々として進まなかった対策が、2020年東京五輪・パラリンピックに向けて、やっと実現すると思っていました。
最初は、舛添前知事が当たり前のように「受動喫煙防止条例」を都議会に提出しようとしたら、飲食店関係や宿泊関係から反発が出て頓挫しました。
その時は、競技施設が都外に増えていることから、都条例ではなく国が法令を制定すべきだと、私も主張していました。
そして、やっと厚労省が、不十分ながら規制案を作ったのです。
ところが、あろうことか、世界の先進国では信じられない「たばこ議員連盟」という反健康集団が、「喫煙を愉しむこと」と「受動喫煙を受けたくないこと」は、両方とも国民の権利だと主張して、対案にならない反対案を出しています。
せっかく、厚労省も、日本の受動喫煙防止対策は世界最低レベルだと認め、最低限度の規制案を提案しようとしているのに、たばこ議員連盟が妨害するとは言葉になりません。極めて遺憾です。
喫煙は自由権だとしてしても、「公共の福祉に反しない限り」は自由権の絶対条件です。喫煙と受動被害の権利主張が平等とは、政治家の論理とは思えません。明らかに、加害者と被害者の関係にあることは世界の医学界で常識になっており、だからこそ、受動喫煙の防止どころか、禁煙社会に向けた国家的取り組みは世界各国に広がっているのです。
日本の反対意見の裏には、たばこ業界等からの政治献金と票田を堅持しようとする政治家の思惑や、一部地方税が減少することへの反発があることは分かっていますが、それは別の対策を検討すればいいことでしょう。
一方で、超党派(56人)の「東京オリンピック・パラリンピックに向けて受動喫煙防止法を実現する議員連盟」があり、こちらは、オリンピック・パラリンピックのために防止法の制定を政府に働きかけています。
しかし、2020年大会の対策として強調されると少し違和感を覚えます。
確かに、IOCは1988年に禁煙方針を採択して、会場の禁煙化とたばこ産業のスポンサーシップを拒否してきました。
さらに、2010にはWHOと協定を締結して、「たばこのない五輪(スモークフリー)」を推進してきています。
そのため、2008年以降のすべての開催地は、罰則を伴う受動喫煙防止対策を講じており、日本にも当然のように求めています。
しかし、IOCが求めるオリンピック・ムーブメントは、開催期間中だけではなく、オリンピックをきっかけに、この社会基盤を残すことを求めているのです。
IOCはこれまで、オリンピックレガシーとして、「スポーツレガシー」「社会的レガシー」「都市レガシー」「経済的レガシー」とともに、「環境レガシー(Environmental Legacies)」を掲げており、禁煙対策はまさに「環境レガシー」の重要な遺産のひとつです。
したがって、日本も不可逆的な法整備にするために、「健康増進法」の改正ではなく独自の新法を作ること。
次に、厳しい罰則規定を設けることは必須条件になると思います。
先日、話題になったゴルフ会場の「霞ヶ関カンツリー倶楽部」は、正会員の規定に男女差別があるとして批判を受け、IOCから規則改正を迫られました。
しかし、倶楽部側が主張していたように、オリンピック期間中の競技に会員規定が影響する訳はなく、まったく競技開催とは関係がないにもかかわらず、会員の規約がオリンピック精神に反することが問題なのだと批判されて、規則改正を求められたのです。
ですから、受動喫煙も同様に考えれば、オリンピック期間中に「完全禁煙」にしたとしても、終了後に、また受動喫煙社会に戻すのであれば、IOCどころか世界中からひんしゅくを買うことになります。
組織委員会と東京都は、静観している場合ではないでしょう。
今のゴタゴタに危機感を指摘しながら、最終的には不可逆的な社会制度になる法整備を強く求めていくべきです。