運動部活動の在り方論は、学校制度が始まった時から永遠の命題といっても過言ではありません。

 明治期から、すでに「学業を阻害する」「疾病障害を受けしむる」「勝敗に重きを置くが為公徳を傷害する」などと、運動部活動は批判されていました。

 その後、大正期も、教育関係者が「勝敗を主とせず過労を避け専ら体育的に指導する」「競技運動は選手の独占を避け一般的ならしむべき」であると文部省に申し入れていたのです。

 また、昭和初期の文部省は、野球統制令を発令したり、小中学生の大会参加を抑制して、教育を逸脱しないよう防衛していました。
 
 しかし、昭和39年東京五輪あたりから、スポーツ競技が子どもに大きな存在となったことをきっかけに、スポーツ競技団体(NF)は、運動部活動を選手の育成機関として注目し鼓舞し続けます。

 その頃から、学校の運動部活動を地域化する議論は始まっていたのですが、文部省は、部活動を必修クラブ化したり、顧問教員の特殊勤務手当を支給するなどして、学校管理下から放そうとしませんでした。

 そして、平成期に入ってからは、学校週五日制、ゆとり教育等の流れによって、学校のスリム化が求められた教育改革が始まります。特に、当時の経済同友会が発表した「学校から『合校』へ」は、学校を「読み書きそろばん」だけの基礎・基本教室に機能を縮小し、遠足や運動会、部活指導などはすべて地域社会に任せるべきと提言しました。それに危機感を持った文部省(平成13年以降は文部科学省)は、この強引なスリム化に反対し、運動部活動だけでも地域化すべきという声も消し去ってしまいました。

 そのかわり、運動部顧問の教員負担に若干の手当てを増額し、外部指導員を活用するなどして、部活動の学校管理下だけはこだわったのです。

 しかし、中・高体連の大会は競技性が高まっていく中で、平成9年度から14年度にかけて、中学校への進学先を一定地域内で自由に選択できる「学校選択制度」がはじまりました。
 その結果、小学6年生が、中学校を選ぶとき、野球部が強い中学校に行きたいと思えば、多少遠くても入学できることになり、そうなれば、小規模中学校ほど、生徒数を確保するために、運動部活動を強化しなければならない緊急事態に陥ります。

 また、平成10年の教育課程審議会によって、特色ある教育活動と特色ある学校づくりの推進が答申されたことを受け、普通科高校に、体育・スポーツ系コース(科)が増えました。当然ながら、運動部活動も激しさを増すことになります。

 さらに、私立大学は「スポーツ推薦入試」を強化し、学生集めに奔走しているため、部活顧問と高校生がスポーツ推薦を目指して、競技成績にこだわり様々な問題を発生させました。とりわけ、平成23年に発生した大阪市立桜宮高校のバスケットボール部員が、大学推薦をブラフにした顧問の激しい体罰を受けて自殺した事件は、あまりにも衝撃的でした。

 一方で、ほぼすべての競技団体(NF)は、中学生と高校生の全国大会を単独で開催せず、中体連、高体連主催の全国体育大会に共催して相乗りすることで、競技力向上を煽り続けています。

 スポーツ庁の「運動部活動の在り方に関する総合的なガイドライン」の最後には、「競技団体は、……運動部活動に……必要な協力を積極的に行うとともに、競技力向上の観点から、……各地の将来有望なアスリートとして優れた素質を有する生徒を、本格的な育成・強化コースへ導くことができるよう、発掘・育成の仕組みの確立に向けて取り組む必要がある。」と書かれています。
 競技団体にアスリート発掘を運動部活動に求めることと、運動部活動の日数及び時数の抑制基準とは、相矛盾していると思いませんか。

 私は、今回のガイドラインにすべて反対しているのではありません。
 運動部活動を取り巻く様々な問題点にほとんどメスを入れず、ただ、運動部活動の活動制限だけを押し付けるとすれば、前回述べたように、生徒の不満が異なる問題を発生させると危惧しているのです。