延期に伴う簡素化リストに失望!

 先日、「日刊スポーツ」誌が、組織委員会がIOCに提出した簡素化検討案を入手したとして掲載しました。真偽の程はともかく、このリスト内容は驚くべき期待外れであり失望を禁じえません。同紙によれば、簡素化案の重要度が最も高いリストを優先的に精査しているとして、その主たる大きな削減要素が、五輪ファミリーや大会関係者の入国者数見直しとそのサービス簡素化、それに国内の各種盛り上げイベントの縮減だというのです。

 最初から華美と思われていた「おもてなしの重視」と、多彩すぎる「大会盛り上げの各種パフォーマンス」を普通レベルに戻しただけであり、大幅な経費削減には繋がりません。これが追加経費削減の最重要リストだとしたら思いやられます。

 さらに、各種会場の設営についても、多少の使用期間短縮や、仮設トイレや仮設テントの削減などが並びますが、その前提となる「観客数の削減」などにまったく触れていません。現段階で決めることではないということでしょうが、大会や競技のあり方を設定せずに、経費削減を提案するのは本末転倒です。

 一方、懸念されている国内スポンサー撤退については、逆に収入の増額、新たなスポンサーの確保を掲げていますが、このような期待薄の希望的項目は、リスト全体の信憑性を疑われます。また、このリストで交渉を受けたIOCにすれば、オリ・パラファミリーの待遇と放送権料への影響ぐらいが関心事で、その他の国内事情については、どうぞご自由にと答えるだけでしょう。

 国内の世論調査によれば、日を追うごとに中止論が高まってきており、五輪中止を求めるデモも発生しています。また、延期に賛成した国民も苛立ちを覚えているはずです。この現状を察すれば、個別な簡易リストではなく、まずは、大会や競技の新方針や改善策を提案すべきではないでしょうか。

 実は、近代五輪の開催危機は、戦争以外でも何度かありました。その一つが1984年のロサンゼルス五輪です。あの東西冷戦で分裂したモスクワ五輪の後に、立候補する都市がなかったところ、米国の実業家ピーターユベロスが、自国や開催都市の経済支援を一切受けず、徹底した民営化五輪を成功させたのです。近代五輪で唯一の黒字五輪と言われる一方で、放送権料とスポンサー料を巨大化させた商業五輪とも揶揄されています。評価は様々ですが、五輪のあり方を激変させた大会としてあまりに有名です。

 だからこそ、2021年の延期五輪は、無観客でも熱狂的なスポーツ会場を、地球上に張り巡らされた衛星放送で、世界隅々までリアルに届ける劇場型大会として開催し、緊急時の五輪スタイルを提案すべきです。

 今年のコロナ渦で、皮肉なことに、世界中のプロスポーツ界が、そのシミュレーションをもって、スポーツ競技は、中止より、無観客でも継続こそが第一優先であることを教えています。

 そうすれば、組織委の「簡素化リスト」経費だけでなく、警備費や仮設工事費などの巨額の削減が見込めるほか、徹底的に健康確認をした選手とコーチ・役員を中心の来日人数に絞れば、係る様々な滞在経費などが大幅に削減できます。(前編「第19編」を参照)

 なお、スポーツの無観客試合は、会場が日本で開催する意味がなく最悪の提案だとして、批判する向きがあることは承知しています。しかし、出場選手のなかに、全面的・完全な放送が前提であったとしても、無観客なら出場を辞退するという選手が何人いますか? おそらく皆無に等しいでしょう。ただし、五輪の代表権を目指す選手にとっては、選考大会が公平に開催できることが前提条件であり、その条件がクリアされていることは言うまでもありません。

 ついでに付け加えれば、「2024年のパリ五輪と合同開催」、「2032年に再立候補」、「2022年に北京との合同開催」などを提案する向きもありますが、すべて論外であり人心を惑わすだけです。

 これまでの組織委は、IOCと水面下で交渉して、その結果だけを国民に公表してきた経緯があります。しかし今回は、延期五輪の「あるべき姿」を国民に示して、その賛同率を掲げてからIOCと交渉すべきではないでしょうか。

 IOCも五輪中止だけは避けたいはずです。組織委はこれ以外に開催の選択肢はないと、国内外にアピールしたうえで公開交渉し、IOCが日本側の最終提案を受け入れなければ、中止宣言(あるいは返上)すべきです。さらに、2024年パリ大会、2028年ロサンゼルス大会に、事前にアピールして賛同を求めることも有効だと思います。

 なお、世界陸連のセバスチャン・コー会長は、五輪中止の場合には「代替大会」を提案すると発言しています。日本側は、コロナ渦の世界的動向や医科学的対策の推移、国内外の世論動向を見極めながらも、時機を逸しないよう早めに提案すべきと考えます。