まさに「巨星墜つ」

 2月1日、「元東京都知事の石原慎太郎氏が死亡」という報道に軽い衝撃を受けました。
 いうまでもなく、「東京オリンピック」を招致した張本人ですが、昨年の「延期五輪」の評価がいまだ定まらぬ中、それを見届けずして亡くなりました。
 忘れもしません。2005年9月に私は、「教育庁体育部」から「知事本局」に、いきなり異動を命じられ、受けた辞令の肩書が、「東京オリンピック招致本部招致推進部 2016年東京オリンピック招致推進担当課長」でした。本庁内に新設された部署で、東京都が「2016年のオリンピック開催都市に立候補する」と命じられた時の衝撃を覚えています。
 それから私的には17年間、「東京オリンピック」に様々な立場で関わったことになりましたが、その自分の回顧をかみしめながら、石原氏が回顧録として記した「東京革命」(幻冬舎出版)を改めて読み返しました。

 その「東京革命」によると、1999年、都知事に就任した石原氏は、バブル経済崩壊後に疲弊していた都政を改革し、様々な都政改革をしましたが、特に、会計制度の改正等で都財政の再建に大ナタを振るったのです。
 その結果、6年ほど経った2005年頃には、予備金(財政調整金)が1兆円を超すまでに都財政を再建させ、そのうちの4千億円を2016年五輪招致の準備金として活用すると披歴したのです。
 ところが周知のとおり、2016年五輪招致は、あえなく失敗します。その敗因について石原氏は「オリンピックを支配している白人たちによるIOCなるものを相手にしての、まさに卑屈な懇願に近い試みは、依然として世界を支配しているつもりの白人たちの我が儘に対する強い反発を育てました。」と記しています。その思いから、負けたIOC総会から帰国する機内で「こらえきれずに涙を流した」と記し、「一度掲げた松明は消してはならない。」「在任中に現職の都知事の責任として、2020年オリンピックの再度の招致活動を続けることを明言した。」と記しています。まさに、白人社会の歴史に、クサビを打つような言質が綴られています。
 さらに、石原氏の功績として名高い「排ガス規制」の成果をもって「東京マラソン」を立ち上げました。この裏にも、「ニューヨークマラソン」を体感し、排ガスが減少された東京でも市民参加型のフルマラソンができるとして、渋る警視庁を説得し、2007年に第1回大会を創設したのです。このようなアメリカへの反発精神は『「ノー」と言える日本』にもよく表れています。

 最後に、私が小笠原村父島の中学校に6年間赴任していた時、度々、石原氏は父島を訪れていました。とりわけ印象に残っているのが、1981年に「外洋ヨットレース」で父島に立ち寄り、村長主催の懇親会に出席中、弟の裕次郎さんが急病で入院との知らせが飛び込みました。その時、石原氏が自衛隊機を呼び寄せたとして、国会で公私混同との批判を受けたことがあります。しかし、あの時は、同席していた海上自衛隊の父島分遣隊長が、自分の判断で飛行艇を内地から呼んだのです。しかし、石原氏は弁解をせずに費用を弁償したのです。

 まさに「巨星墜つ」です。1年延期となり、無観客で開催した「Tokyo2020大会」について、石原氏から一言の評価や批判の言質を聞けずに逝ってしまいました。心よりご冥福をお祈りいたします。