新国立競技場の建設現場で働いていた新入社員が、1か月およそ200時間の時間外労働に耐えきれず、疾走して自殺していた事件(事件といっても過言ではない)は、オリンピック関係者に衝撃が走りました。
 この事件が明るみになってから、同様の過重労働に耐えていた労働者の実態が次々と記らかになり、ついに労働改善を求めるデモも発生しています。

 過去には、ソチ冬季五輪、北京夏季五輪、リオ夏季五輪で、労働者の過酷な労働条件、賃金不払い、安全管理不備等により、多くの労働者が犠牲になってきました。その問題に対して、すでに、ILO(国際労働機関)がIOCに改善を申し入れてきたのです。

 一方、2012年のロンドン五輪だけは、建設労組が、五輪誘致の段階から英国政府と労働者保護の協約を締結しており、建設現場での犠牲者を出しませんでした。さすがに労働先進国だと思います。

 日本は、東京大会組織委員会が、労働者保護に自信をもって、本年5月に、ILOとパートナーシップに関する覚書を結ぶことに合意していたのです。

 その矢先に、この事件が発生したことは、日本の労働者の権利保護に問題はないだろうと思っていたIOCとILOは、驚愕するとともに、日本よ!お前もかと思ったことでしょう。

 いうまでもなく、この過重労働のバックには、新国立競技場の建設計画が、1年2カ月遅れて始まったことに起因しています。

 もう一度、思い出してください。ザハ案の白紙撤回によりデザインの再公募が行われ、A案とB案とが比較のうえ、建築家の隈研吾氏、大成建設、梓設計のグループによるA案に決まった時の「評価ポイント」のことです。

 当時の報道記事を引用します。

 設計・施工の一括公募に応じた2グループの案について、有識者によるJSCの技術提案等審査委員会が審査した。2グループから聞き取りを行い、7人の委員が9項目について1人140点満点(7人で980点満点)で評価した。9項目のうち「事業費の縮減」「工期短縮」は各1人30点と配点が大きく、村上委員長は「工期、コストについて約束を守ってくれるかが最大の関心事。実現性と信頼性をチェックした」と説明する。
 審査の結果、合計点はA案が610点、B案が602点。これを重視してJSCはA案を選んだ。9項目中でA案の点数が上だったのは「業務の実施方針」「事業費の縮減」「工期短縮」「環境計画」の4項目で、ほかの5項目はB案が上だった。最も明暗を分けたのは「工期短縮」で、A案は177点、B案は150点と27点差がついた。
 JSC幹部によると、委員会では審査前、工期の縮減幅が大きいことのみを評価するのか、工期の縮減幅が小さくても信頼性を評価するのかについて何度も議論したという。技術提案書が出てみると、完成時期は2グループとも同じで、目標とされた20年1月末を2カ月前倒しした19年11月末だった。JSC幹部は「同じ土俵で審査できたことで、ポイントは実現性と信頼性に絞られた」と言う。
 両案を比べると、工事手法などの信頼性に差はなかった。一方、A案は16年12月の本体着工の2カ月前に準備工事を開始するが、B案は17年2月の本体着工の8カ月前となる16年6月から準備工事に入る計画だった。B案は準備工事が早く、「行政手続きの実現性で疑問もあった」とJSC幹部は明かす。
村上委員長は記者会見で「A案は実現性と信頼性があったが、B案は(提案通りにできるかという)危惧があった」と明かした。

 このように、工期の縮減が最大の得点差を生むことから、両案とも大きな不安を持ちながらも、勝つために最大限の工期短縮を提案したことがよくわかります。

 経験的に、公共工事では、設計図通りにすべて順調に建設されることはなく、設計変更を重ねながら完成に向かうため、「事業費の縮減」と「工期の短縮」は両立せず、どちらかに無理が生じることは決して珍しいことではありません。まして、あのような木材主体の巨大な競技場を工期厳守で建設した前例はないでしょう。すでに計画段階から懸念されていたことです。

 その絶対条件である工期厳守が、下請け会社と労働者に強いプレッシャーが掛かっていたことは想像に難くありません。

 しかし、過去の経緯を評価している暇はありません。今後の工事進捗に対して、次の様な対策に取り組むべきでしょう。

 公共工事には、整備費が賃金・物価等の変動により不足した場合は、「公共工事標準請負契約約款」を施主と建設JVとが契約しています。その約款第25条(賃金又は物価の変動に基づく請負代金額の変更)に基づいて、施主であるJSCが、請負代金を追加して人件費を増加させることが可能なのです。確かに「事業費の縮減」は、これまでの五輪経費の縮減に反することですが、経費と工期のはざまで、労働者に負担が寄せられることは絶対に避けるべきです。

 周知のように、新国立競技場の建設費は、JSC、国、東京都が、2:1:1で分担して工事が始まっています。すぐに、経費負担の関係者が約款に基づく経費追加の協議をすべきでしょう。

 その上で、東京都と組織委員会は、すべての五輪関係工事の労働環境を調査して、二度と同様の問題が生じないように対処するとともに、ILO及びIOCに改善策を報告して、信頼を回復してほしいと思います。