公益財団法人日本体操協会(以下、協会)は、宮川紗江選手が訴えていた塚原千恵子女子強化本部長(以下、本部長)からのパワハラ問題について、検証にあたった第三者委員会(以下、第三者委)から「パワハラは認定できなかった」との調査報告を受けました。

 そのため、協会は、すぐに、本部長と夫の光男副会長の職務一時停止の措置を解除して、条件付きながらも復帰させたのです。

 調査報告書によれば、宮川選手とコーチを、本部長が引き離そうとしたことについては「引き離し行為は認められない」とし、代表合宿で宮川選手が塚原夫妻からパワハラを受けたという主張についても「不適切な点が多々あったとはいえ、悪性度の高い否定的な評価に値する行為であるとまでは評価できない」と結論付けました。

 それを聞いた宮川選手は「信じられない」、弁護士は「結論ありき」と反論しています。また、パワハラ情報を、マスコミを通じて聞いていた人々には、驚いたという声が多かったようです。

 そこで今回は、発表された第三者委の「調査報告書(概要版)」について、検証してみました。

① 第三者委の委員選定に違和感

 まず、協会は、第三者委の委員長を、元日本弁護士連合会副会長の岩井氏に依頼したとしています。しかし、選手側の弁護士から、塚原夫妻と委員2名が利害関係にあると指摘されましたが、委員見直しはされませんでした。どのような経緯で岩井氏が指名されたのかも、よくわかりません。

 なお、日弁連は、2010年に「企業等不祥事における第三者委員会ガイドライン(以下、ガイドライン)」を策定していますが、そのなかに、「企業等と利害関係を有する者は、委員に就任することができない。」とあり、「顧問弁護士は、利害関係を有する者に該当する。」と明記されています。

 そういえば、あの日大アメフト問題でも、日大側が依頼した第三者委の聞き取りに対して、関西学院大学側が違和感を覚えて「あの第三者委は信用できない」と吐露していました。

 スポーツ関係のトラブル検証で、第三者委の設置が必須であることは、論をまちませんが、委員の選定経緯は、なぜか公表されず不透明です。

 また、委員長になった岩井氏が自ら選任したとされる委員は、元高検検事長、元高裁長官、元弁護士会常務理事や副会長の肩書を持つ錚々たる弁護士4名で、さらに、4名の調査担当弁護士を含めて、実に弁護士だけ計9名で構成されています。

 ちなみに、ガイドラインには、「委員の適格性」について、「第三者委員会の委員には、事案の性質により、学識経験者、ジャーナリスト、公認会計士などの有識者が委員として加わることが望ましい場合も多い。この場合、委員である弁護士は、これらの有識者と協力して、多様な視点で調査を行う。」とあります。

 しかし、今回の委員5名の弁護士について、履歴を検索しても、スポーツ倫理等に関わった経緯はわかりませんでした。特に、スポーツ界の組織構造や人間関係等に関する、悪しき部分社会を踏まえた検証に適格性があったのか、報告書を通読した範囲では、違和感を覚えざるを得ません。

 だとすれば、スポーツ倫理等に精通した、学識経験者やジャーナリスト等を、なぜ加えなかったのか不可解です。

② 代表選手の選考権限が最大のパワハラ

 本部長は、女子代表選手の選考基準を自ら策定し、選考する権限をほぼ独占していました。

 宮川選手が最も恐れたのは、代表選手を選考する権限を本部長が一手に握っていることです。

 選手にとって、最大の生命線である選考や選抜の権限に影響を及ぼすような、絶対的権力者の発言や行為は、一般選手からみたら微細な言葉であっても、目標の大会出場を目指す競技者にとっては、絶望的な暴言に聞こえることもあり、極めて敏感です。

 一方、指導者は、その発言効果をよく知っています。微妙なニュアンスを意図的に使っている指導者は結構います。

 まさに、この生殺与奪の権を振りかざすのが、スポーツ指導におけるパワハラ行為の根源のひとつと言っても過言ではありません。

 思い出してください。桜宮高校のバスケットボール部において、主将を自殺に追い込んだ顧問が、暴力に加えて、何度も繰り返したのが「大学に推薦しないぞ!」という罵倒でした。

 また、日大アメフト部で、悪質タックルに追い込んだ指導者は、実力のある選手をレギュラーから外しておいて、「復帰したいなら…」と反則指示を囁いたのです。

 指導者は、選手の奮起を促すためだと弁解しますが、受ける選手側は、指導者の意図とは関係なく、「外される」という恐怖だけが肥大化します。

 調査報告書は、「第6章 宮川選手によるによる問題提起(パワハラ)の有無と分析」の冒頭で、スポーツ団体におけるパワハラの定義を「競技者に対し、組織内の優位性を背景に、精神的・身体的苦痛を与え、競技活動の環境を悪化させる行為(要約)」としながらも、パワハラ行為には軽重に大きな隔たりがあり、刑罰法令に触れるものから、民法上の不法行為に当たるもの、そこまでいかないが不適切な行為といえるものがあると分析し、現在の社会においては、パワハラの用語自体が一人歩きし、一律にかなり重い否定的評価を含んだものとして受け止められる傾向にあるように思われると説明しています。

 これは、いかにも司法関係者らしく、罪刑の構成要件を判定するようなやりかたです。前述したように、選手の精神的苦痛の根源は、絶対的権力者からの一言一句であり、これがパワハラの根源であることについて、報告書では、「従来のナショナル強化選手にとっては、自身の派遣される可能性のあった国際大会が、2020東京五輪強化選手に奪われたという認識を生じさせた可能性がある。宮川選手の問題提起も、この状況に端を発しているものと考えられる。」と指摘はしているものの、あまり重要視していません。

 第三者委が、スポーツ指導上のパワハラ認定に留意してほしいのは、加害者による刑法上、民法上の違法要件の軽重ではなく、選手に苦痛を感じさせた理由を重視して、指導・教育に名を借りた権力的な発言等の不適切性を検証してもらわなければ、第三者委の役割を果たせないのです。

 ここが、スポーツ界におけるセクハラとパワハラの違いです。

 セクハラは、判断基準が比較的明らかですが、パワハラは、法的にも明確な基準がなく、ハラスメントの種類は30種以上にのぼることは周知のところです。

 その判断が難しいケースがあるからこそ、被害者が訴える精神的苦痛の理由・原因等(被害妄想、曲解等も含む)を重視してほしいのです。

 学校教育現場でも、教員側が、複数の生徒に同様の発言をしても、聞かされる生徒の受け止めは千差万別です。一人だけが、被害を訴える場合もあります。

 今回の報告書では、それを「パワハラの用語自体が一人歩きし…」と、批判的な表現をしていますが、だからこそ、教育学者や心理学者も含めて、ガイドラインにある「有識者と協力して、多様な視点で調査を行う。」に従ってほしかったところです。

 また、本部長が副会長と2人で、18歳の宮川選手一人を個室で聴取した件について、報告書は「配慮が足りなかったが、やむを得なかった面がある」としたうえで、聴取の内容についても、オリンピックに出られなくなる旨の発言をしたことは、適切ではなかった。」としながら、「悪性度の高い決定的な問題があるとは言えない。」と判断しています。

 しかし、この言葉こそ、発言側の意図はともかく、宮川選手は最も衝撃を受けた言葉だと察します。

 さらに、塚原夫婦の態度が「終始高圧的な態度」だったとしながらも、宮川選手が想像以上に抵抗したことを理由に、「夫婦に決定的な問題があるとまで断定することはできない。」と結論付けましたが、「決定的な問題」の基準は、いかにも法的な判断であり違和感を覚えます。

 一方、宮川選手にも疑問点はあります。本部長が、コーチの暴力行為を批判し、コーチの処分理由に及んだ説得に対して、本部長への度重なる不信感と恐怖が重なっていたとはいえ、コーチの暴力を擁護して、本部長の提案をすべて悪しき目論見だと感じて反論したとすれば、批判はさけられません。

 しかし、18歳の選手が、2人の協会幹部から高圧的な説得を受け続けたことを参酌すれば、精一杯の抵抗として被害妄想に追い込まれたとしても、理解できないことではありません。

③ 批判の矛先は、協会組織へ

 結局、第三者委は、塚原夫妻のパワハラ行為について、不適切な行為が多々あったとしながらも、パワハラの証拠は見当たらないと結論付けたうえで、「協会自身の問題点に大きなものがあった。」と指摘しています。

 報告書によると、宮川選手が、記者会見でパワハラを訴えたのは、協会を信頼できず、相談しても解決しないと考えたからであって、協会に訴えれば逆に潰されると思ったからだと解説しています。

 これは、過去の、全柔連に指導者の暴力を訴えた女子選手が、連盟の対応に失望したあげく、JOCに訴えた事案と同じであり、選手側から見て、競技団体が幹部等のパワハラ問題を解決してくれると思っている選手は、ほとんどいないと思います。

 今回の件も、第三者委は、協会のガバナンスに関して、常務理事会やコンプライアンス委員会の体制及び運営上の問題があるほか、強化本部長の権限が明記された規程等はなく、時には恣意的に運用されることもあるとして、協会内部の問題を指摘しています。

 その上で、「根本的な解決策として一番に検討されるべきは、協会組織が、公益財団法人としての財政基盤が脆弱であり、理事や本部員等のほとんどがボランティアで構成されている。協会のガバナンスを十分に整備・機能させるためには、協会の活動に専念することができ、かつ、協会内部で発生した問題について責任をもって対応できる優秀な人材が必須であることは当然のことであるが、確立した財政基盤なしにこのような人材を集めることは困難である。(要約)」と指摘しています。

 さらに、「協会と理事又は本部員等との間には、報酬の支払いを含む業務委託契約等の締結が必要であり、その契約の中で理事及び本部員等が履行すべき業務の内容を明確化した上、その業務及び責務を責任もって履行させることが協会のガバナンスを確立するための重要な前提になる。」と忠告しているのです。

 驚きました。日本の競技団体(NF)のなかで、体操協会より財政基盤が脆弱な団体は、複数どころか多数あります。財政難がガバナンス機能を不全にしているとして、根本的な解決策を財政基盤の確立にあるというのは、あまりに短絡的な提言です。財政力の弱い各種団体は、猛反論すべきでしょう。

 しかし、その財政難と指摘された体操協会が、9人の弁護士に、3ヶ月間も調査、検証、報告書づくりを依頼できた資金確保を考えると驚きです。これは邪推でしょうか。

 結局、この報告書は、塚原夫妻が権限を集中させたことを、協会が組織的に黙認したことを指摘し、協会には適正な監視監督機能がなかったことが根本的な問題だったと、最終的な提言をしています。

 この提言を真摯に受け取った協会は、塚原夫妻に対する職務一時停止の措置をあわてて解除して、とりあえず復帰させたのでしょうが、なにか釈然としません。

 今回発表された、「公益財団法人日本体操協会」の「第三者委員会調査報告書」は、今後のスポーツ界における第三者委員会のあり方を問い直す、良い機会を提供してもらったのではないでしょうか。