現在のロシアドーピング問題は、急に発生した単独・例外的問題ではなく、歴史的・継続的問題としてとらえるべきです。一つの組織どころか国ぐるみのドーピング違反は、過去の重大な懸念でしたが、ロシアで復活(継続?)していたとしたら、スポーツに対する悪質な犯罪的行為であり、この問題の解決をIOCが誤れば、オリンピックの存続を危うくします。
 個人的なドーピング違反は、今後も根絶は困難だとしても、国ぐるみと組織ぐるみの犯罪だけは、徹底的に根絶しなければなりません。
 
【近代オリンピックにおけるドーピング闘争の経緯】
 近代オリンピックは、クーベルタン男爵が、当時の世界列国による帝国主義と民族主義の争いに対して、スポーツ外交をもって、世界平和に貢献することを目的のひとつとして創設しました。
 そのため、選手の高潔性と教養維持のため厳格なアマチュアリズムを徹底したことで、一定の秩序が保たれてきたのです。

 ところが、第二次世界大戦前のナチスによるベルリン五輪のころから、民族的なナショナリズムに翻弄されるようになり、戦後のソ連を中心とする共産圏諸国が「国威高揚」を目指して、オリンピックに参入することで東西冷戦時代におけるメダル合戦を生み出します。

 特に、ソ連と東独では、西側諸国に勝つため、「ステート・アマ」という、いわば、走る国家公務員を雇用し養成します。その勝利のための工程にドーピング文化が密かに浸透していったのです。

 しかし、選手の不審死を踏まえ、当時の国際陸連を始め各競技団体は、興奮剤等の薬物使用を禁止しますが、その検査は不能で実効性がありませんでした。そのため、1964年の東京五輪までは、ドーピング検査が行われず、次のメキシコ五輪から検査を実施するようになりますが、その効果はソ連・東独に培われたドーピング技術を見抜くことはできません。

 ところが、1990年代になり、ソ連や東独が崩壊・解体したことで、ステート・アマと同時に数千人の国家公務員だったコーチが失職します。問題は、その人たちが高度なドーピング技術をもって、世界に拡散されたことなのです。

 IOCは、1988年ソウル五輪における、ベンジョンソン問題をきっかけに、厳罰主義を徹底しますが、あまり奏功しません。さらに、1999年にWADAを設立し検査機能をやっと確立しますが、明らかに後手を踏んだことは否めませんでした。

 その結果、現在、個人のドーピング違反は、確かに徹底されるようになりましたが、各国を信頼し委任してきた国内の検査機関が国家機関とグルになって国家ぐるみのドーピング隠しを行ったとすれば、制度が根底から崩れたことになります。

 確かに、オリンピックは、競技者個人の参加権利を奪ってはいけないことは、十分承知しています。しかし、今回に限っては、検体のすり替えという、今では潔白を証明することが不能な状態では、疑わしきは罰せずとして参加させるわけにはいかないでしょう。それを許せば、国ぐるみのドーピング隠しを根絶することができないからです。

 IOCは、ロシア選手団のリオ五輪参加を完全拒否するのか、本日にも判断します。その結果を踏まえて、また議論しましょう。