平昌オリンピックの開会式や競技観戦の際に、韓国と北朝鮮のトップの間に自ら席を取り、意識的・意図的に両者の融和を図ろうとするIOCバッハ会長の姿には、審判的優越感を漂わせていました。

 そして、最も強く違和感を覚えたのは、パラリンピック終了後に、北朝鮮から招待を受けたバッハ会長は、東京と北京のオリンピック大会への参加依頼のためという、まったく現時点で必要のない交渉を理由にして訪問し、満面の笑みを浮かべて、金正恩委員長から感謝を受けていたことです。

 はたして、こんなIOC会長は、歴代にいたでしょうか。

 1953年、西ドイツに生まれた弁護士でもあるトーマス・バッハ会長の原体験から推測できることがあります。

 第二次大戦後に分裂したドイツは、1964年東京オリンピックまで、東西ドイツの統一チームで参加していました。そして、東西両ドイツが個別に参加できるようになった夏季五輪は、1968年メキシコシティー大会からです。その時代を経て、1990年に東西ドイツが統合されたのは周知のところです。
 
 バッハ氏は、ドイツの東西分断時代に少年期を過ごし、母国西ドイツで行われた1972年ミュンヘン五輪では、パレスチナ武装集団が選手村でイスラエル選手団を襲撃するという惨劇を、19歳で目の当たりにしています。

 そして、次の1976年モントリオール五輪において、西ドイツのフェンシングチームの一員として金メダルを獲得しているのです。

 近代オリンピックは、第二次大戦後、アパルトヘイトによる南アフリカの五輪排除、米ソのボイコット合戦、中国と台湾のオリンピック参加バトルなど、不安定な世界情勢に翻弄されたオリンピックへの政治介入は、枚挙に暇がありません。

 その厳しい世界状勢を経て、1991年にIOC委員になったバッハ氏は、2013年9月に第9代IOC会長に選出されています。

 バッハ会長は、就任早々、国連総会に「スポーツの独立性と自治の尊重およびオリンピック・ムーブメントにおけるIOCの任務の支持」を働きかけ、決議に成功します。

 そして翌年、国連本部において「スポーツは世界を変える力を持ち、さらに重要な役割を果たす時代が来た。スポーツは政治的に中立な立場でなければならない。」と演説するのです。

 この演説は、オリンピックに対する政治介入に、IOCはあまりにも無力であるとのバッハ会長の原体験が下敷きにあり、IOCは抵抗するだけでなく、積極外交に打って出るとの姿勢を世界に公言したと聞こえました。

 それを実践するかのように、平昌五輪前から北朝鮮に自ら合同チームを働きかけ、あげくに韓国のアイスホッケー女子チームの選手を犠牲にして、なりふり構わず積極外交を仕掛けていくIOC会長の姿を、オリンピック関係者は容認しているのだろうか。

 今回の朝鮮半島問題は、ドイツの南北統一とダブらせて、自分の力で朝鮮半島を統一させようと積極外交を仕掛けたと考えれば、バッハ会長の言動は分かり易いと思います。

 あえて言う必要はないと思いますが、私は、オリンピックをきっかけに政治的懸案が改善されることを否定するものではまったくありません。

 国際政治に対するバッハ会長の積極外交が、今後のIOCの新たな姿勢になれば、オリンピックの理念と持続可能性を維持できるのだろうか。この先が問われることになると懸念するのは、私一人ではないはずです。