報道から聞こえてくる日本ボクシング連盟会長の強権・恫喝等が、スポーツ界の旧態依然たる恥部を最悪な形で露呈させたのは間違いありません。
 しかし、過去には、程度の差はあれども似たような団体はありました。

 ここでは、その所業を検証するのではなく、高校生の運動部活動(部活)を統括する「公益財団法人全国高等学校体育連盟(高体連)」主催の、学校部活の発表である「全国高等学校総合体育大会(高校総体)」で、なぜこのようなことが起こったのかということを問題視したいのです。

 まず、高体連とは、昭和23年に創設され、昭和38年からは各大会を同一地区で同時期に開催することになりました。平成23年以降は、夏季総合体育大会を複数県によるブロック地区開催となり、8月を中心に約30競技が行われています。
 なお、高校総体がインターハイと呼ばれているのは、高等学校間の対抗競技という意味であり、現在は、約120万の高校生が、学校単位に都道府県高等学校体育連盟へ登録しています。

 この高校総体は、都道府県の高体連と各競技種目の専門部が中心になって開催されます。開催要項を見ればわかるように、主役は高体連であり、二番目に競技団体となっています。
 ところが、高体連の実働部隊は、すべて学校教員ですので、全国規模のスポーツ大会を開催し運営する能力は、先生本業とは別物であり、毎年苦しんできました。
 そのため、共催する競技団体に運営等を依存する傾向が徐々に強くなっていきました。
 特に、先生組織では、大会運営資金のスポンサー確保は厳しく、大会運営に長けている競技団体の協力が必須になることは致し方ないことです。

 なお、高校総体以外に、各競技団体がそれぞれ開催してきた「全国高等学校選抜等大会」は、別途に継続されています。これは競技団体が主役であり、高体連は協力する立場の共催になっています。

 さて、今回のボクシング高校総体の開会式典を見たときに、まず違和感を覚えたのは、競技団体役員が正面に向かって左側にずらっと並んでいたことです。ちなみに、檀上は左側優位(表彰台も左側が2位、右側が3位です)であり、通常は主役や来賓の席です。
 ところが、右側に、主役である高体連や教育委員会の関係者が並んでいました。この配席は、高校総体とは思えません。
 しかし最も驚いたのは、高校生を前にした挨拶において、競技団体のバトルが繰り広がれている映像を目にした時です。極めて遺憾です。
 高体連役員や教育委員会は、どうしてバトル挨拶を厳しく批判をしないのか。唖然としました。到底、教育現場である高校総体の開会式ではありません。

 まさに、高体連や教育委員会は、母屋を乗っ取られただけでなく、家から追い出されたといっても過言ではありません。
 実は、このような高校総体の現場は、ボクシングに止まらず、非難の応酬はあり得ないにしても、多くの競技現場では、立場の逆転が存在しており、常態化しています。

 別件ですが、日本スポーツ協会は、国民体育大会において、義務教育の中学3年生を対象として、授業を出席扱いで参加させている現状に飽き足らず、中学1・2年生も秋に開催される国体に引っ張り出そうと検討をしています。
 このように、中学・高校の運動部活動が、トップアスリートの登竜門になっている以上、不正処分やガバナンス啓発だけで競技団体の体質が改善するとは思えません。
 スポーツ庁やJSC等が、公的資金の操作だけでなく、スポーツ選手育成の機能を構造的に変えない限り、解決することはないだろうと危惧します。

 ついでに指摘すると、日本のスポーツ界は、政治家がトップを務める競技団体や都道府県体育協会が常態化しており、まさに、大会等において、下にも置かない対応が当然のように行われています。
 いうまでもなく、「得票」を求める政治家と「公的支援」を期待する団体役員が、同床異夢で相互依存している構造は少なからずあり、年功序列、上意下達等のスポーツ組織の体質が改革されないネックのひとつになっていることも付記しておきます。