アメリカ連邦議会の超党派委員会が、中国の人権問題を調査して、少数民族への抑圧強化が進んでいると年次報告を公表しました。
 特に、中国政府は、新疆ウイグル自治区のイスラム過激派対策を名目に、イスラム教徒であるウイグル族を強制収容施設に100万人拘束していると批判を強めています。
 
 その批判を背景にアメリカ議会は、2022年北京冬季五輪について、開催地を変更するようIOCのバッハ会長に促したと報道されています。

 もちろん、IOCは、開催地変更を受け入れることは絶対ありませんが、トランプ政権が仕掛けている米中の貿易問題が激化して長引けば、この人権批判が沈静化するとは思えません。

 オリンピックにおける人権問題については、南アフリカ共和国の「アパルトヘイト政策」を批判したアフリカ諸国が、IOCに五輪をボイコットするというブラフをかけて、当時のIOCは、1964年の東京五輪から1988年のソウル五輪までの計7回大会にわたり南アの五輪参加を禁止し、冬季大会についても、計8回の参加を禁止した過去があります。

 中国においても、2008年の北京夏季五輪を前に、世界各国で行われた中国の聖火リレーが、チベットの自由を求めるチベット人や支援団体によってリレー妨害を受け、世界に人権問題を晒したことがあります。その時も、日本を含む各国から、五輪開催国の変更を主張する一部の声があったことを思い出します。
 なお、当時のIOCは、その後、聖火リレーを開催国内だけに止めるよう変更しています。

 また、オリンピック史に禍根を残した、あのモスクワ五輪とロスアンゼルス五輪のボイコット合戦は、東西冷戦時下での政治介入でしたが、今回は貿易冷戦下における政治介入に発展するとすれば、酷似している経緯となりそうで極めて危険です。

 確かに、オリンピック憲章が訴える五輪の価値は、「平和、人権、環境、教育」であり、それを立てにしてボイコットや開催地変更を仕掛ける政治権力には、徹底して排除しなければなりません。しかし、だからといって、指摘されている人権問題を、五輪だから不問に付すべきというのも疑問です。
 
 例えば、1968年のメキシコシティー五輪では、陸上競技200Mの表彰式において、アメリカ黒人選手の2名が壇上で行った「ブラックパワー・サリュート(黒人差別抗議行動)」に対して、IOCは、その2名をオリンピックからの追放処分としています。この抗議を政治的主張として処分した当時のIOC判断については、いまだに賛否が分かれています。

 現在のIOCバッハ会長は、北朝鮮の五輪参加等に対して前のめりに介入するなど、これまでの姿勢に違和感を覚えているのは私一人だけではありません。今回の人権問題に、バッハ体制のIOCがどのように対応するか注視する必要があります。