IOCは、近代五輪を変革せよ!

 IOCの関心は、すでに2024年のパリ五輪に移行しています。

 パリ大会では、「アジェンダ2020」の規約に基づき、男女平等の推進と、開催都市限定の「選手500人枠」でブレークダンスが採用され、空手と野球・ソフトボールを外したことが話題になっていますが、既定路線で驚くことではありません。

 また、不祥事で除外も予想されていた「重量挙げ」は選手数削減に止まり、競歩は、男女平等を理由に男子種目を除外するなどをもって、バッハ会長は大幅な選手削減だと自負しています。しかし、結局は東京大会から増えた500人追加枠分が減って、「アジェンダ2020」の上限選手枠1万500人に戻っただけです。パリ大会の選手規模を縮小したとアピールしても、まさに焼石に水です。

 戦争に翻弄されながらも耐えて継続してきた近代オリンピックは、今や政治権力と経済干渉に協力を得なければ開催できなくなった巨大プロジェクトに変貌しています。今後早急に根本的な改革をしなければ、地球環境の激変に耐えられずに滅びていった古代マンモスと同じ運命をたどるでしょう。

 五輪史上初の1年延期に至った東京五輪に対して、日本国民の間では「中止」「開催」の予想と懸念が渦巻いている最中に、IOC会長がわざわざ権威的に来日し、組織委員会は小手先の対策をアピールして、東京都と国はコロナに打ち勝った証しにと意味不明な主張を掲げていますが、三者とも来夏開催だけは一致しています。なにか主役の多い演劇を見せられているようです。

 このドタバタ演劇を見せられている側の国民から中止論が高まることは当然といえますが、この緊急時だからこそ、組織委員会ではなく、日本のスポーツ界が一体となって強いメッセージを発信しなければならないはずです。しかし、その総本山JOCが、五輪の延期問題からことごとく阻害され、アスリート達も発言を封じられています。日本国民が不快感を持っている感情には、政治家や官僚の思惑だけで進んでいることに対する反発があるのではないでしょうか。

 120余年の近代オリンピック史は、戦禍が最大の試練でしたが、今後の地球環境を想像すれば、疫病や大規模災害などでの開催危機が最も懸念されるはずなのに、その基本的な対策ビジョンをいまだ示さず、酷暑にはマラソンを急きょ札幌に移転し、コロナ対策には「おもてなし」や「儀式」を縮小するぐらいの小手先修正に終始していれば、巨大マンモスと化したオリンピックはいずれ滅びる運命です。

 この機に及んでもIOCからは、今後の近代オリンピックのために根本原則を改革し、持続可能性を世界に発信すべきはずなのに、一向に聞こえてこないことが不思議でなりません。

 クーベルタンは晩年、「100年後に私が転生したら、今のオリンピックを壊す側に回るであろう」と予言したとされる理由は、今のような事態を予見していたからではないだろうか。

 まず、最大の改革は、夏季五輪と冬季五輪の規模のバランスを変えることです。

 遡ってみると、クーベルタンが最後の会長で迎えた1924年パリ夏季大会(5月~7月)の前に、同じフランス国内において、冬期の1~2月に4競技で開催されたのが「第1回冬季五輪」なのです。その後、欧州の国々は、夏季と冬季大会を同じ年に開催してきました。

 ちなみに、1964年に開催されたアジア初の札幌冬季五輪の時は、同年に旧西ドイツ・ミューヘンで夏季大会が開催されていました。

 また、夏季五輪と冬季五輪が同年に開催することが最終となった1980年は、東西冷戦のさなかに行われ、冬季大会がアメリカのレークプラシッドで開催されたときには、ソ連も参加していました。しかし、その半年後のモスクワ夏季五輪は、アメリカなど西側諸国がボイコットした片肺の大会だったのです。

 そして、冬季五輪の開催を夏季五輪の2年後にずらしたのは、1994年に開催したノルウェーのリレハンメル冬季大会からで、その後の7大会は、2年ごと交互に開催されてきました。

 なお、冬季大会の競技規模をみると、第1回大会の4競技で始まり、直近の平昌冬季五輪でも7競技です。一方、夏季五輪は、第1回アテネ大会の8競技ではじまり、20競技前後で推移してきましたが、第32回となった今回の東京五輪は、33競技まで膨れ上がっています。

 各競技の季節条件を考慮すれば、夏季競技のうち、冬季に移せないのはサーフィンなど海関係の競技ぐらいです。それどころか、陸上競技のロードレース(マラソン、競歩)などは、冬季のほうがふさわしいことは言うまでもありません。半々とまでは言わないが、少なくとも2対1ぐらいの競技割合に組み替えることで、夏季大会の都市負担が軽減し、今回のような一括延期などにも、違った対応ができることになります。

 2022年冬季五輪の招致合戦は、豪雪地帯であるカザフスタンのアルマトイが落選し、降雪がほぼ皆無の「北京市」が人工雪での開催をアピールして招致を勝ち取り、北京市は夏季・冬季の両大会を開催する初めての都市になりました。ここに、中国の経済力に頼るIOCの思惑が透けて見えます。

 すでに、「アジェンダ2020」によって、五輪への立候補は、2都市どころか、2ヵ国合同での提案も可能になっています。夏季・冬季の2大会をセットで立候補できる国・都市に公募を求めれば、今回のような疫病や災害等にも柔軟に対応できるようになります。

 次に検討すべき大改革は、オリンピックの競技・種目を削減することです。

 まずは、賞金争いが主体の「ゴルフ」や「テニス」を五輪競技から外すべきです。また、ワールドカップが最大主戦場となっている「サッカー」と「ラグビー」を、「年齢制限のサッカー」や、「7人制のラグビー」にしてまで、オリンピックで実施する必要はありません。また、アメリカのMLB選手も出場しない「野球競技」は論外です。「ソフトボール」が可哀そうというなら、男女別のソフトボール2種目に変更すればいいだけのことです。

 前回のリオ五輪では、ジカ熱を理由に代表を辞退したゴルフの松山選手のように、賞金ランクで競うプロスポーツ選手は、今回は自国開催だから出場したいと表明するでしょう。しかし、本音はアマチュア選手が出場すればいいと思っているはずです。

 競技数の増加は、放送権契約側が視聴率の高い競技を求めていることを受けて、IOCは競技を増やしてきたのでしょう。実は、IOC前会長のジャック・ロゲ氏は、何度も競技数を削減しようと試みましたが、IF等の抵抗が強く「野球・ソフトボール」だけしか削減できませんでした。しかし、東京五輪では追加種目として復活していることは周知のとおりです。

 このように、夏季の酷暑期に33競技(規定では28) 、339種目 (規定では約310) まで膨れ上がり開催せざるを得ない矛盾に対して、削減や入替をしない限り、近代オリンピックの持続は不可能に近いと言わざるを得ません。

 厳しい世界的な疫病渦にある今でこそ、 IOCは 将来のために「冬季と夏季の競技バランス」と「賞金主体の競技種目の削減」について大改革をすると世界に表明すべきです。

 なお、すでに時機を逸していますが、IOCのロゲ前会長の時代に、夏季と冬季の五輪競技のバランスを替えて、2大会一括で公募を可能にする改革が行われていれば、日本は東京五輪招致の段階で、2030年冬季五輪に立候補する予定の「札幌市」と合わせて、「日本の夏季・冬季五輪同時開催」を提案することができたのに、と空想します。

 IOCが大胆な五輪改革を決断するためには、様々な抵抗と問題をクリアしなければならない困難は十分理解できますが、本気で近代オリンピックを持続可能にするのであれば、このコロナ渦で疑心暗鬼になっている世界のスポーツ界にオリンピックの価値と未来像を示すことが、今のIOCに課せられた最大の使命のはずです。

 実は、来夏の延期五輪の準備に関して、代表選考大会の開催が決まっていない競技は、現在のところ3~4割に上っており、今後も計画どおりに消化できるか厳しい状況にあると聞いています。

 IOCは、相当の反対論と問題点が指摘されることを覚悟したうえで、世界が注目しているこの時期に、将来に向けた二大改革をアピールすると同時に、日本側から、6ヶ月先に開催を控えている北京冬季オリンピックに、1競技でも移転すると希望を表明すれば、オリンピック改革のテストケースとして大きなきっかけになるのではないでしょうか。

 クーベルタンの没後100年まで、あと8年に迫った今日、この世に転生したクーベルタンがオリンピックを廃止する側に回らないためにも、あと4年の再任が決まったバッハ会長には、大胆な改革案を提案してもらいたいと願うばかりです。