巨大マンモスが滅びるようだ!

 感染症対策分科会の尾身会長は「無観客が最善」と警告し、IOCのバッハ氏やセバスチャンコー氏は「無観客」でも開催可能と言っているのに、なんとしても「無観客」だけは避けたい組織委員会は稚拙な説明を続けて、国民の神経を逆なでしています。なぜ、そんなに「有観客」にこだわるのか。おそらく、失言等で去っていった長老たちが、「無観客は意味がない」と、いまだに組織委に対してプレッシャーをかけているのでしょう。

 一方、近代五輪を政治と経済に支配させてしまった今のIOC幹部は、この事態に及んだ反省のかけらもなく、自らの利益と特権だけを巧妙に押し付けてきています。

 さらに、それを針小棒大に取り上げて批判を煽るマスコミを俯瞰していると、まさに、今の東京五輪は「氷河期に滅びていった巨大マンモス」のように見えてきます。

 開閉会式はともかく、競技会場をすべて「無観客」にすれば、感染拡大の元凶である人流を激減できるだけでなく、仮設費の削減や、ボランティア及び警備員等の減数、五輪反対の妨害行動阻止、サイバーテロ以外の人命テロ行為の阻止など、複数のリスクを軽減することができるのに、組織委は、「無観客」だけはどうしても避けたいらしい。

 「無観客」の回避は、チケット財源確保のためなのか、IOCファミリー厚遇のためなのか、それとも政権の選挙利用なのだろうか。今の組織委のスポークスマンになっているのが財務省からの出向者(中村氏)だから、どうしても政権の意向を代弁しているように感じられます。

 また、さいたまスタジアムでの「バスケットボール競技」が、米国のNBC放送時間に合わせて、午後9時以降に設定されていること自体がもともと遺憾だったのですが、飲食店の時短営業や飲食制限中の都市事情の中で、午後9時以降に五輪観客を入場させるなんて理解が得られる訳がありません。感染対策が十分かどうかという問題ではなく「五輪だから許して欲しい」という姿勢にみられているのです。

 120数年続いた「近代オリンピック」は、第一次・第二次世界大戦で夏季3大会がやむなく中止になったものの、「スペイン風邪」で世界的パンデミックだった1920年アントワープ大会や、「新型インフルエンザ」が大流行した2010年バンクーバー冬季大会でも、批判を受けつつもなんとか開催してきました。

 今回の「東京オリンピック」も、途絶えさせないこと(持続可能性)を最も重視して、継続のために「無観客」や「変則開催」を大胆に取り入れるべきです。もちろん、IOCの既得権益を考えれば、IOCが条件を示すことは十分予想できますが、「無観客」判断だけは基本的に日本側に委ねられていると思います。

 現状の「巨大マンモスと化した五輪」を、近代オリンピックの創設者クーベルタンが見たらなんというだろうか。実は、1937年に死去したクーベルタンが、その8年前に「もし輪廻というものが存在し、100年後にこの世に戻ってきたら、私は自分で作ったものをすべて破壊する側に回る。」という遺言を残しています。100年後と言わず、今戻ってきて、マンモス化した現代オリンピックを大改革して欲しいと願うばかりです。

 なお、丸川大臣などが、五輪開会の前に「緊急事態宣言」が発令された場合は、「無観客」もありうると発言していますが、あまりに詭弁です。一箇月を切っている現在、これからの入場制限に伴う「チケット再抽選」作業終了後に、それを「無観客」に変更するなど出来る訳がありません。なぜなら、多くの入場チケットには、ホテル代や航空券代等を含めた「パックチケット」が占めているからで、直前のキャンセルは膨大なキャンセル料が伴います。ですから、それを知る関係者は「有観客批判」に対して詭弁を弄しているだけです。極めて遺憾だと言わざるを得ません。