やらずに後悔するより、やって後悔せよ!

 来日以来のIOCバッハ会長は、一言一句、一挙手一投足を批判的に報道する日本のマスコミなどには意を介さず、予定の行動を着々とこなしています。先日も、批判行動が予想されるにも関わらず、広島の平和記念公園を訪れて、原爆慰霊碑で献花と黙とうを行いました。この行動は、来日前からの本人の予定だったのか、それとも、日本側の入れ知恵なのかわかりませんが、少々びっくりしました。

 それだけではありません。バッハ氏の国内スケジュールを組織委員会が事前に公表し、そのスケジュール通りに堂々と行動しているバッハ氏を見ていると「日本は本当に安全な民主国家である」と、本人が実感・体感しているのだろうと推測します。

 菅首相が、かねてより、コロナ渦でも「安全安心な大会」と言ってきた意味を、バッハ氏は、日本はアメリカのような銃社会とは無縁の、安全安心な民主社会であり、過激デモや略奪、打ち壊しなどの懸念は一切ない穏健な島国だとの解釈にして、来日する各国の五輪選手団に向けて発信していると考えれば合点がいきます。

 その結果、五輪参加予定の国や地域は、北朝鮮を除きすべて参加することになり、安全安心に競技できるとして来日しているような気がするのです。

 WHOのテドロス事務局長が来日したことにもびっくりしましたが、「大会成功はコロナの症例をゼロにすることで図るものではない。人生において『ゼロリスク』はなくリスクは常にある。大事なのは感染者をすぐに検知して隔離する行動を早く起こすことだ」と、少し批判を受けそうな発言を堂々としています。これも安全な日本だから安心して公表しているような気がするのです。

 海外からの五輪関係者が「バブル方式」の違反行為を発見したとの報道を見ると、海外渡航者は、日本でこの位の違反をしても、後ろから銃弾が飛んで来るわけでもなく、マスコミが違反者を名指しせず、違反行為を針小棒大に報道するぐらいにしか思っていない節があります。また、組織委員会も罰則規定を定めたものの、想定内の痛痒感しか感じていないような対応ぶりです。

 バッハ氏が、「東京などの感染状況が改善されれば無観客を見直すべき」と発言したときも、多少の違和感を覚えて、その本音は、無観客は日本側の判断であり、損害を受忍する日本に対する同情的発言だと思っていましたが、先日の欧州サッカー選手権のようなフーリガン的熱狂を体感しているバッハ氏が、無観客を簡単に受け入れる日本人に同情しているような気がしました。

 ここに至るまでの国内では、長く中止論や延期論が飛び交い、あれほど開催を危ぶむ声が優勢だったのに、開会式前に先行して始まった「ソフトボール競技」や「女子サッカー」は、テレビ画面を通して日本的な熱狂で包まれています。

 私的には、2016年のオリンピック招致活動から約16年を数えて、やっと終息を迎えますが、もし、この大会をほぼ無事終えた時に、「レガシー」を検証したとすれば、「日本という国は、世界の先進国の中でも安全安心な民主社会という印象を世界に披歴できた。」と夢想に耽るのは早計でしょうか。

 パラリンピックが終了するまでに、まだまだ何が起こるか予断は許さないものの、今回の「東京2020大会」は、「やらずに後悔するより、やって後悔せよ!」であり、やらなかった場合の後悔のほうが、はるかに大きいと思います。