今年も、8月6日と8月9日を迎えました。いうまでもなく広島と長崎に原爆が投下された日です。

 その9年後の1964年10月10日、東京オリンピック開会式において、晴天下で聖火を点火した最終ランナーが、広島原爆当日に県下で生まれた青年であると説明を受けたとき、我々日本人だけでなく、世界の人々が驚嘆したことを、よく覚えています。それだけで、あの開会式に平和オリンピックの強いメッセージが込められていたのです。

 加えて、聖火の点火後に、八千羽の鳩が放たれたところに印象が残っている国民も多いと思います。鳩については、1996年版のオリンピック憲章に「聖火への点火につづいて、平和を象徴する鳩が解き放たれる」と記載されたことから、各大会の開会式では、鳩を模した紙吹雪が舞うなどの模擬がありました。しかし、東京大会のように、八千羽の本物の鳩が一斉に放たれたセレモニーはありません。まさに平和の祭典をアピールする壮観な光景でした。

 ついでに紹介しますと、三島由紀夫が、あの放鳩をみて「放たれた鳩の一羽が、一向に飛び立とうとせず、緑のフィールドに頑固にすわっていた。こういう鳩もあっていい。」と、ほのぼのと書いているのが印象的でした。

 そして、あれから45年経った2009年10月、広島市と長崎市が「世界の核兵器廃絶と恒久世界平和の実現を目指す」をコンセプトに、2020年のオリンピック招致に立候補を表明したことを覚えているでしょうか。

 残念ながら、IOCから2都市開催は認められないとしてすぐに却下されましたが、広島市は諦めず、改めて広島市単独の「ヒロシマ・オリンピック構想」を発表したのです。

 しかし、世界から注目された広島単独案も、市長の交代や市民の反対運動拡大、県知事の非協力だけでなく、JOCを始めスポーツ界や、国も消極的だったことが致命傷になり潰されたといっても過言ではありません。さらに、2011年3月の東日本大震災が発生したことも一因に付け加えなければなりません。

 JOCとすれば、日本に五輪を再度招致する悲願に向けて取り組んできたものの、大阪(北京に負け)、名古屋(ソウルに負け)では果たせませんでした。結局、日本が五輪招致を勝つには、東京以外になく、広島では到底無理だとして、致し方の無い選択だったのでしょう。

 したがって、東京都(特に、石原知事)とJOCは、2016年大会の招致に失敗した後に、2020年に立候補し直すことを既定路線としていました。しかし、広島・長崎案がいち早く立候補声明を出したことは想定外だったのでしょう。そのため、東京都が、対抗してすぐに立候補声明を急ぐと判官びいきで批判されかねないとして都庁内は躊躇していました。

 結果的に、広島案の撤退を待って立候補しようとしたのですが、今度は東日本大震災が発生したことで東京都も一時躊躇します。
 しかし、石原知事は、2011年6月に、大震災からの復興を世界に披歴すると所信を表明して、7月16日に立候補意思表明書をJOCに提出しました。

 ところで、昨年のリオ五輪では、組織委員会が、ブラジル在住の被爆者や広島市長からの要望もあり、広島への原爆投下時刻と開会式が重なるとして「今日は広島の原爆の日」との場内アナウンスを流す計画を立てていたことをご存知でしたか。しかし、IOCから「五輪の政治的利用にあたる可能性がある」と指摘され、取りやめになったと報道されています。

 IOCのこの指摘は、極めて遺憾であり、原爆被害の鎮魂がどうして政治利用になるのか。おそらく、IOCが最も懸念したのは、莫大な放送権料を出資してもらっている米国NBCから異論が出ることだったのでしょう。情けない話です。
 
 現在、2020年東京大会の開会式について、組織委員会は、基本コンセプトの検討を始め、すでに中間報告を発表しています。
 一応、「日本だからこそ提言ができる『平和』を世界に発信していく。」や「様々な分断が広がる世界に対し、平和を考える契機とする」と書かれていますが、全体のコンセプトのなかで、主題になっているとは思えません。

 2020年東京五輪の開会式では、平和市長会議によって提唱されている「2020ビジョン(2020年までに核兵器廃絶を目指す働きかけ)」をもとに、広島・長崎が2020年のオリンピックを招致しようとした、当時の思いや願いを披歴して、世界恒久平和の実現をメッセージに組み込むことを願ってやみません。

 少なくとも、巷間噂されている、アニメで笑いを誘ったり、空飛ぶ自動車で聖火を点火して驚かせるなどのパフォーマンスを主題にすることだけはやめてほしいと思います。世界の笑いものになります。

 オリンピズムの主価値は、あくまでも「平和、人権、環境、教育」ですから・・・・