今度は、(公財)日本体操協会の組織体質に対する批判が始まりました。スポーツ界は、いつまで、このようなレベルの低い醜態をさらすのか。評価に値しません。

 日本のスポーツ集団・組織は、長年にわたり、年功序列、業績重視、上意下達、服従主義、強権主義、派閥主義、父権制、終身役員制などが横行する、いわゆる悪しき「体育会系」の権力構造が、程度の差はあれども常態化したまま、現在に至っています。

 さすがに近年は、公益法人化などにより、民主的な組織体制に改善された組織は増えてきましたが、相変わらず、旧態依然の組織体質が残ったままの団体も少なくありません。

 日本は、メダルの獲得水準が上昇し、国際的には「スポーツ先進国」と思われているかもしれませんが、スポーツ基本法の前文冒頭に謳う「スポーツは、世界共通の人類の文化である」に見合う、スポーツ文化の先進国といえるでしょうか。

 真のスポーツ先進国であれば、スポーツ団体は、国民からリスペクトされる「社会の公器」であると自覚すべきなのです。
 そして、日本を代表して活躍する競技者は、「みなし公人」あるいは「準公人」であり、海外ステージにあっては、国際交流を担う「スポーツ外交官」として見なされると自覚しなければなりません。
 先の平昌五輪における、小平奈緒選手のレース後の美談を挙げるまでもなく、日本のスポーツ競技者が国際交流に貢献した事例は、過去に枚挙のいとまがありません。

 したがって、スポーツ団体の存在意義のひとつは、競技者を最大限サポートして、スポーツ価値を社会に広めることが「社会の公器」たる所以ではないですか。
 そのためには、どうしても「スポーツ団体法」の策定が必要になるのです。

 日本は、平成23年に「スポーツ基本法」を成立させました。日本におけるスポーツ振興の理念を啓発したまではよかったのですが、個別課題を具体的に規定する実定法ができないため、法整備の効果があまり奏功していません。

 この基本法は、全面改正の前の「スポーツ振興法(昭和36年制定)」と同様に、国及び地方公共団体の責務が条文化されているだけで、スポーツ団体をスポーツ振興の重要な構造と認めながらも、スポーツ団体の法的地位や権限、任務等には触れていません。

 唯一、第26条に、国民体育大会の共同開催に「(公財)日本スポーツ協会」を、全国障害者スポーツ大会の共同開催に「(公財)日本障害者スポーツ協会」を特命しているだけです。

 さらに、第5条において、「スポーツ団体の努力」を定めていますが、該当する統括団体等は特定せず、すべてのスポーツ関係団体に、スポーツ行為者の権利義務の保護、団体運営の透明性の確保、紛争の解決に対する努力義務を課しているだけです。

 また、公益法人を取得しているスポーツ団体は、内閣府の「公益等認定委員会」による改善命令はありますが、あくまでも公益法人法に基づく指摘だけですので、いうまでもなく不十分です。

 なお、海外のスポーツ先進国の事例をみれば、国内オリンピック委員会などの総括団体は存在意義が法制化され、その組織、任務、権限、租税減免措置などが定められています。
 
 実は、スポーツ庁の最大の役割は、スポーツ基本法の第8条(法制上の措置等)「政府は、スポーツに関する施策を実施するため必要な法制上、財政上又は税制上の措置その他の措置を講じなければならない。」に基づいて、法制上、財政上の措置を提言する立場にあるということです。
 したがって、スポーツ庁には、法制上の措置として「スポーツ団体法」の策定に向けた取り組みを、早急に始めてほしいと願うばかりです。

 その際、内包すべき事項には、「統括団体の法的地位や権限」「競技者の権利利益の保護」「ガバナンス・コンプライアンス体制の設定」「団体の自治・自立の保護」「仲裁機構への自動応諾」「団体運営の開示義務」を必須にして、規定すべきと思います。

 なお、スポーツ団体の法整備は、団体自治への不要な政治介入を招くのではないかという意見があるとすれば、早計だと思います。
 それどころか、スポーツ団体の自治能力を高めて、自立性・独立性に資するための法整備が前提であることは言うまでもありません。